El tiempo pasa, Soledad canta las mismas canciones para el público del otro lado y la urbanidad se hace gorda y obsoleta. Al rescate la televisora nacional, siempre contribuyendo a la sofisticación de la ciudadanía. El audaz título del programa es "Nuevos Modales" y comenzamos con los artículos indispensables en la cartera de cualquier dama moderna y gentil: dos pañuelos de diferente tamaño; un paquetito de papel tissue; una postal en blanco con su estampilla pegada (50 yenes); un sobre pequeño y discreto con una razonable cantidad de dinero y con tarjetita de "gracias" incluida; unos caramelitos de menta (sin azúcar); un bolígrafo, lápiz de labios...
A continuación, las explicaciones. El pañuelo más grande lo utilizará la dama para cubrirse las piernas si se sienta en un parque y anda de falda corta (cosa que no le dijeron en el colegio a MariCori), o para colocarlo sobre un asiento sospechoso. También sirve para colocarlo sobre el regazo mientras almuerza en casa ajena o en un restaurant sin servilletas de tela. El más pequeño debe tenerse como reserva para una verdadera emergencia: que su acompañante no cargue el de él. En lugar de llamarlo mal educado y desconsiderado, ella, generosa y divina, perdonará este lapsus y subirá sus acciones bursátiles prestándole el suyo, limpio, muy femenino y muy ligeramente perfumado. A una amiga en condiciones similares se le regala un papel tissue. De nada.
La postal en blanco y lista para ser enviada es una característica religioso-epistolar: una fe ciega en la puntualidad del servicio de correos japonés. Dice el manual que una cortesía, un gesto, un favor, debe ser agradecido en las próximas 48 horas (las groserías deben ser olvidadas inmediatamente). La fina dama carga su postal lista, la escribe en sólo cinco minutos y la deposita en el primer buzón con el que se tropiece. Llegará en un día o dos. Amén.
El sobrecito cae en la categoría "Maneje con Cuidado" y probablemente muchas chicas no lo necesiten en toda la vida. Resulta que hay unas afortunadas a las que el tipo las invita, las invita, las vuelve a invitar y siempre paga la cuenta. ¡Inadmisible! Ella a la tercera ocasión lleva su sobrecito con más o menos lo que cuesta invitarla una vez, y con una tarjetita muy personal de "gracias por los favores recibidos" se lo entrega con la promesa de que habrá una cuarta, quinta, hasta que la muerte, vez. Mohín de pasión.
Los otros adminículos se explican por su propia naturaleza y el ítem tácito pero indispensable es la cajita de condones, porque no hay glamour que no se empañe con la angustia de tener que sufrir las consecuencias del sexo sin protección.
M.C.Valecillos
2007年7月27日金曜日
2007年7月5日木曜日
朝日新聞外報部
朝日新聞外報部
石田博士殿
拝啓
初夏の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、私は、昨今の朝日新聞に記載されるヴェネズエラ関連の記事を興味深く拝見さ
せていただいます。残念ながらそれらの記事の中で、いくつかの偏った、もしくは
誤った事実が記載されていることに懸念を感じております。特に、先日の「RCTV
の放映権利の再発行がなされなかった」という記事においては、偏った事実に基づい
て報道がなされており、大変遺憾であり、この度筆をとることといたしました。
石田記者は実際にRCTVが制作する番組をご覧になったことがあるのでしょうか?
『反チャべス的な報道をする局』とは名ばかりに、品のない、暴力的で視聴者に対し
てまったく敬意の感じられない番組は、日々悪化をたどる一方でした。今回、ヴェネ
ズエラ政府のとった行動は、何年も前になされていなければいけなかった行動だと思
います。
しかし、RCTVの制作する番組の内容や質などについては、私の個人的意見として
も、6月24日付けの記事の中には明らかに正確な情報を提供する報道機関としての責
務に欠けた箇所があったので、石田記者にお伝えしたいと思います。石田記者は、記
事内で「大統領が望むなら、いくつでも新しい放送局をつくり…」と書かれています
が、一、マスメディアに携わるものとして、地上波には限りがあることをご存知では
ないのでしょうか?限りがあるからこそ、放送権利というものが国から発行されてい
るのです。そのため、地上波をつかって放送される番組は、『国民の利益』となるも
のではいけないというのが、番組制作に携わる者が守るべき最低条件であり、基本概
念だとおもうのですが。その上、RCTVは閉鎖になったわけではなく、まして(石
田記者の言葉を借りるなら)『殺された』わけでもありません。もし彼らが『望むな
ら』番組制作も放送も衛星やインターネットで可能なのです。ただ、多くの国民が広
く視聴する地上波の放送に関しては、RCTVの番組は不適切だと判断されたので
す。日本と違い低所得者が大半を占めるヴェネズエラでは、地上波で放送される番組
は影響力が強く、日本以上に価値があるのです。国民の利益になる番組づくりをとい
う国からの再三の通告に全く応じなかったRCTVに代わり、貴重な地上波をより有
益に使用しようとすることに問題があるのでしょうか?
記事の中に登場する石田記者がいう「ヴェネズエラ国民」とは誰を指しているので
しょうか?一、読者として、一、ヴェネズエラ人として、石田記者の述べる『事実』
が偏った一部の人々の意見に思えてならないのですが。日本で手に入れることの出来
るヴェネズエラおよび南米諸国の情報は限られています。石田記者の記事のもつ影響
力もそれだけ強いということになります。その中で、こういった公平さに欠ける情報
を載せるのは非常に危険であると思います。なぜなら、読者に誤った固定概念を埋め
込んでしまいかねないからです。ヴェネズエラ国民は、今、よりよい社会へと動き出
しています。その中で、新鮮味のないメロドラマやセンスのないクイズ番組がなくな
ることが本当に大きな犠牲と呼べるのでしょうか?可能であれば、一度、石田記者の
ご意見をお伺いしたいので、ご回答いただけますようお願い申し上げます。
最後に、朝日新聞がこれからも「公平でかつ真実に基づいた報道をする」より優れた
報道機関として益々ご発展されることをお祈りいたします。
敬具
平成十九年七月二日
ブリト ダニエラ
石田博士殿
拝啓
初夏の候、ますます御健勝のこととお慶び申し上げます。
さて、私は、昨今の朝日新聞に記載されるヴェネズエラ関連の記事を興味深く拝見さ
せていただいます。残念ながらそれらの記事の中で、いくつかの偏った、もしくは
誤った事実が記載されていることに懸念を感じております。特に、先日の「RCTV
の放映権利の再発行がなされなかった」という記事においては、偏った事実に基づい
て報道がなされており、大変遺憾であり、この度筆をとることといたしました。
石田記者は実際にRCTVが制作する番組をご覧になったことがあるのでしょうか?
『反チャべス的な報道をする局』とは名ばかりに、品のない、暴力的で視聴者に対し
てまったく敬意の感じられない番組は、日々悪化をたどる一方でした。今回、ヴェネ
ズエラ政府のとった行動は、何年も前になされていなければいけなかった行動だと思
います。
しかし、RCTVの制作する番組の内容や質などについては、私の個人的意見として
も、6月24日付けの記事の中には明らかに正確な情報を提供する報道機関としての責
務に欠けた箇所があったので、石田記者にお伝えしたいと思います。石田記者は、記
事内で「大統領が望むなら、いくつでも新しい放送局をつくり…」と書かれています
が、一、マスメディアに携わるものとして、地上波には限りがあることをご存知では
ないのでしょうか?限りがあるからこそ、放送権利というものが国から発行されてい
るのです。そのため、地上波をつかって放送される番組は、『国民の利益』となるも
のではいけないというのが、番組制作に携わる者が守るべき最低条件であり、基本概
念だとおもうのですが。その上、RCTVは閉鎖になったわけではなく、まして(石
田記者の言葉を借りるなら)『殺された』わけでもありません。もし彼らが『望むな
ら』番組制作も放送も衛星やインターネットで可能なのです。ただ、多くの国民が広
く視聴する地上波の放送に関しては、RCTVの番組は不適切だと判断されたので
す。日本と違い低所得者が大半を占めるヴェネズエラでは、地上波で放送される番組
は影響力が強く、日本以上に価値があるのです。国民の利益になる番組づくりをとい
う国からの再三の通告に全く応じなかったRCTVに代わり、貴重な地上波をより有
益に使用しようとすることに問題があるのでしょうか?
記事の中に登場する石田記者がいう「ヴェネズエラ国民」とは誰を指しているので
しょうか?一、読者として、一、ヴェネズエラ人として、石田記者の述べる『事実』
が偏った一部の人々の意見に思えてならないのですが。日本で手に入れることの出来
るヴェネズエラおよび南米諸国の情報は限られています。石田記者の記事のもつ影響
力もそれだけ強いということになります。その中で、こういった公平さに欠ける情報
を載せるのは非常に危険であると思います。なぜなら、読者に誤った固定概念を埋め
込んでしまいかねないからです。ヴェネズエラ国民は、今、よりよい社会へと動き出
しています。その中で、新鮮味のないメロドラマやセンスのないクイズ番組がなくな
ることが本当に大きな犠牲と呼べるのでしょうか?可能であれば、一度、石田記者の
ご意見をお伺いしたいので、ご回答いただけますようお願い申し上げます。
最後に、朝日新聞がこれからも「公平でかつ真実に基づいた報道をする」より優れた
報道機関として益々ご発展されることをお祈りいたします。
敬具
平成十九年七月二日
ブリト ダニエラ
登録:
投稿 (Atom)